パズルを探して<石の中の御釈迦さん>
無邪気で可愛いい という事を
売り<武器>にしている事はこっちも百も承知だけど
気がつけば 結局その流れにはめられて まあいっか と
なってしまうのがアジアの
物売りの子供達の才能と逞しさだ
今もまんまと子供たちの言われるがまま 誘導されて
座らされた屋台のテーブルで カンボジア名物の
固いフランスパンのハムとピクルスのサンドイッチと
冷たいアイスコーヒーといった遅い朝食をとりながら
道路を挟んで目の前の
アンコールワットをボンヤリ眺めていた
もし僕が遺跡マニアだったり 日本のお寺の建築などを
志すものだったら 今頃きっと興奮して鼓動が高鳴り
感動のあまり右のほほに
静かなラインの涙がツタッテイタかもしれない
でも実際
そういったものに殆ど興味がないので ただガイドブックや
ネット上の
写真で見ていた
あの場所に本当に来てしまったんだなあ そして ここも
WOLが生前朝日を見に来ていた場所だ せっかく
カンボジアまで来ておいて外すのは勿体無い
それは焼肉やに来て冷麺だけ食べて帰るようなものだ
それにしても
暑いな というそんな思いしかなかった
劇団ひまわりの名子役より役者な 物売りの子供たちを
やっとの思いで巻いて 道路を渡り
橋の手前でチケットをみせて橋を渡る
西参道の入り口をくぐり そして日本の神社のような
長い長い参道の一本道を歩く とにかく暑い
つい先週まで真冬の新宿駅などを肩をすぼめて歩いていたのだ
まるで そこからいきなり摘み上げられて鍋の中で
色を変えて揚げられていく冷凍もののチキンナゲット
になっていくようなヒリヒリした
気分だった 手に持っていたペットボトルの水がもうすでに
温くなっていくのがわかる
西塔門くぐり 第一回廊の中へ入ったとたんヒンヤリとした
石の冷たさと 石独特の安堵感のある香りで
少し思考能力が戻ってくるような気がした
まるで真夏の銀行のキャッシュコーナーに入った時の気持ちだ
十字回廊へと進み 右側には大きな御釈迦さんの仏像が
何対かあった 盗賊に盗まれて首のない仏像もある
それぞれにお線香がたかれていた
アンコールワットは1113年から1145年にかけて
スールヤヴァルマン2世
によって建立され 元々はヒンドゥー教の様式による
廟墓兼寺院だが
今では何故かお釈迦さんが祀られている その理由はわからないが
派手でクネクネ踊っている不思議なヒンドゥーの神々も魅力的だが
やはり 日本で育っているので
お釈迦さんの あの静かな姿を見ると落ち着くものがある
第二回廊も抜けると そこは一端外になっていてその中心
に 圧倒的にソビエ建っているのが
この天空の楽園と言われる場所の中心部中央祠堂だ 中心の祠堂は
神々が住むメール山<須弥山>の象徴で
その周囲の回廊などは雄大なヒマラヤを表しているという事である
そして 中央祠堂の東西南北には驚くほどの急な階段
WOLが言っていた その天国の階段があった
一年前 WOLのホームページで 天国の階段 という
言葉を見つけた時は さぞ神秘的で 生と死のギリギリの区切りの
ような場所にヒッソリとある階段であり そこを登るということは
それなりの覚悟が必要だろうと想像していたが
実際はツアーパック旅行などで定年後やってきたご夫婦の
日本や韓国のお父さん お母さん方がガンガンに登っていた
韓国のまだまだタフそうな お父さん が一気に登りきって
下にいる韓国の老夫婦たちから拍手と喝采をあびていた
そう 天国の階段は 元気じゃないと登れないものだったのだ
そんな光景をホノボノしくも眺めながら 時計を見ると
まだサンセットの時間には2時間弱あった
やはり中央祠堂には 夕日がおちる手前に登りたい
それまで この下のこの周りを見て回ろうと再び
石の中の第二回廊を歩き出し その壁や天井に余すところなく
壁面に彫刻として浮かぶデバター
を眺める ちゃんと調べながら見てたわけじゃないが
一体一体顔も服もすべて違い 踊ったり集ったりしていて
表情が皆楽しそうだ
この楽園にある聖池は 王族が単に沐浴するためのもの
だけではなく 乾季が訪れた時にこの都の農業を支える
水が溜められていた場所である きっととてもシャンティで
バランスの取れた王国だったのだったに違えない
もし今 この灰色の石達に
再びその頃の色がついて音楽が鳴り踊り喋り出したら それはどんな
に素晴らしい光景なのだろう 今現在ここにいて
カメラを持って写真を撮っている 西洋や東洋の旅行者
の僕らより はるかに強く今という時間を夢見るように生きぬき
そのエネルギーにはきっと
先進国の僕らは負けてしまうような気がするのだ
例えば 日本の僕らの時代も1000年もたてば こうやって
見学されたりするのだろうか 例えばフジテレビの自社ビルとか..
三越とか...一体 この時代はどんな風に写るのだろう
このように 楽しそうに圧倒的に今を生きているように
みえるだろうか? タモリの顔はこの時代の
象徴になったりするのだろうか? サザンやユーミンが
流れたりするのだろうか?
そんな事を想いながら歩いていると だんだん疲れてきて
第二回廊の東側のできるだけ人がいない場所に行って座りこむ
睡魔がおそってきてしばらく其処でウツラ ウツラと
眠ってしまう 途中何度も目が覚めてはそこは アンコールワット
の中で 夢より夢のようだった 音にならない何か
音楽の原型のようなもの静けさの中かカスカに聞こえそうだった
その前を オレンジ色の衣をまとって背筋のシャンとした
若いお坊さんが横切り
<おまえ ここで寝ているのか?>と言って 眉毛を
はの字にして肩をすくめて やれやれと言う感じで笑われた
そろそろ中央祠堂に上がってもいい頃だけど
よくよく考えてみると 昨日バケンの丘には
花を置いてきたが ここにもWOLが歌った
あの「パズル」の歌のメッセージの
花が必要だった
かもしれないなと今頃になって
思いはじめる これはどうすればと暫く考えて
たしか西塔門を出て右側の方に
お土産屋や冷えたジュースが売っている場所があったな
そこにもしかしたら何か花が売っているかもしれない
と そこまで戻ってみるが花は売ってなかった
振り返ると たしかにさっきより
日は傾いてもうすぐこの楽園も
やわらかい黄金色の夕日の布で包まれそうになっていた
でもよく見ると そのお土産やの奥の敷地内に 小さな寺院があったり
きっと ここで働く人たち寝泊りしてるだろう
小さな家があり その庭先には何種類かの花が咲いていた
そこで 即座に思いつき水撒きをしていた 愛想のいい少年に断って
そこに目立って咲いていたオレンジ色の花を摘んだのだった
でも旨く摘めなくて不恰好だったけど 花は花だし
ましてやこの花のほうが自然で俺らしいかもと
A型に隠れたO型気質が出てきて 気持ち急ぎ足で中央祠堂に戻った
空を見上げれば 「もうまもなく日没時刻となりますよ
皆様お早めに屋上まで集まってください」 と
館内アナウンスが聞こえてきそうな赤みがかった空に変わっていた
天国の階段は まるで登らないでくれ と言ってるように思うくらい
急だった 旨い具合についている細い棒の手すり
をたよりにして もう片方の手には オレンジの不恰好な花が
潰れないようにもちながら 何とか登りきった
ここが中央祠堂の中心部か、、
遥か古来この王国の王が亡くなるときにこの場所で
自分とヒンズーのブイシュヌの神を
一体化しようとした 聖なる場所だ
実際は割とコジンマリとしていたが
四方八方から下界よりも 濃密で強い風が吹き金色の後光のような
光がレースのようにフンダンに差していた
暫く辺りを ぼんやり歩いていると
ふとその時 御釈迦さんの仏像の前に
座っているクメール人の坊主のかなり年老いた
お婆さんと目が合う
お婆さんは一見顔をシカメテイルようにも見えたが
顔にクッキリと刻まれたシワの
奥にある目は水のように光っていて
この人は怖くない と思った
お婆さんの前には その孫娘なのか 16 7歳くらいの
フックラした黒髪の女の子が座り込んでいて
二人で向かい合って箱に入っていたお菓子を食べて
話している途中だったようだ
ちょっと笑いながら彼女もこっちを見ていた
やがてお婆さんの視線が僕の目から僕の右手に移って
そのオレンジ色の花を何か考え深げに暫く眺めていた
<その花は なんだ? もっとこっちまで
来てみせなさい>と言ってる気がしたので
二人が座ってるほうに近づいていった
そこの庭から貰ってきたのだとジャスチャーで話したら
お婆さんは ただその花を手にとってじっくり見て
唱えるように何か小さい声でブツブツと言っていた
その奥に祀られた御釈迦さんの仏像から
お線香のにおいがしている
さっきの場所からは気がつかなかったが そのお婆さんと
孫娘が向かい合ってる空間には とても落ち着く
やさしい空気が 漂っていた
その空気に触れるとなんだか僕も ホっとして
今まで疲れが押し寄せて体の力がぬけて 大きなため息を一つ
「はあああ」とついてしまう
その時 二人は即座に暗黙の了解のように絶妙なタイミング
で息を合せて「はああ」と僕と同じようにため息をついてくれた
何だか 変な旅人だがそれなりに何かあるのだろうと
一瞬二人が
受け止めてくれたかのようだった
僕はますます気がぬけて 馬鹿みたいな思い込みで こんな遠い
場所まで一人やってきてしまった自分を思い 知らず知らずに
張り巡らしていた 緊迫感が解けて
僕もその場所にベッタリ座り込んでしまう
そこに漂っている安堵感は まるで日本のお婆ちゃんの
部屋と同じものだった
それはとても懐かしくて守られていて いつまでも其処に座ってい
たいような場所だった
そして「この 花 何処に置いて帰っていいか わからないから
お婆さんに挙げるよ」と わたすそぶりをしたら
そのお婆さんは <いや いや あそこに置いていきなさい>と
その奥にある 御釈迦さんの仏像のほう指さしたのだった
その時 僕の心はちょっと震え 次の瞬間 疲れなど消え去っていた
ずっと締め切ったままだった心の小窓が一気に全部開いて
新鮮な空気で洗われたような気持ちになった
「これで 良かったんや」
すべては円を描いて繋がっていると思った
我ながら独りよがりで
角度をかえれば馬鹿みたいな今回の行動だけど
こんな事でも誰かが何処かでちゃんと見ていてく
れるんだ そんな気がして
この嬉しい気持ちを返すように
アンコールワットの石の中のお釈迦さんの
前に花を置いて 手を合わしたのだった
その瞬間 もう今回の自分の業<カルマ?>はこれで終わった気がした
後は神さん達にお任せすれば良いと思った
WOLもきっと そこに繋がっている
そうきっと ただあの世とこの世というだけで
実はすべてこの次元にも繋がっているのだ
そして清清しい シェムリの風のなか心が
何処までも自由になり
あの一番好きな 旅の気持ちが再び戻ってきた
そして とうとう日没の時刻となり
西の方角へ乗り出して
クメール人のガードマン達に<クローズ クローズ>
と言われながらも まるでホオ月のような
丸く濃いオレンジ色の夕日が まだ半分
ジャングルのワイルドな木々の中
落ちていくのを見た
WOLは たしか あの番組のロケ中 バケン山で
夕日を観ながら ポツリと「こうやって人の人生も
終わっていくんやねえ」みたいな事を言っていた気がする
今思えば これも不思議なことだが
そう たしかに
すべては終わっていく ここで夕日を観ている僕も
各国の旅してる人たちも この景色に写る すべては
永遠に存在はしない
でも それは 一直線上に終わるわけではない
「もう 今ではWOLの方がお判りだと思うが」
すべては円を描いて回っていて 又始まるのだと思う
だって 朝日は破られることない約束のように
必ず又登ってくるのだから
その時 朝日をみたくなった
そうだ 朝日を観にいこう
ここでは
寝坊して観れなかったが
この国をでて
遥かインドの 御釈迦さんも
ヒンズーの神々を居るインドの生と死の河
ガンジス河の朝日を観にいこう