パズルを探して
「もしも 私が死んでしまったら あの丘の上花で飾って
花で飾って....」 パズルより
「丘って どこの丘やねん?」
という言葉を
MDウオークマンのへッドホンを耳にあてながら
誰も聞こえない声で一人呟いたのが始まりだった
突然 真冬の琵琶湖の横で嘘みたいに先だった 友人WOLの
葬儀が終わり 東京の部屋に戻ってきたはいいが
なかなか日常にシフトチェンジできずぼんやりしていた
気だるい午後だった
MDから流れる歌は 「パズル」という歌
これは <WOL>が作曲で<ゆりっち>が作詞を
したもので 僕は以前から ゆりっちがライブで
歌っていたこの歌がとても好きで
WOLが事故に遭う一ヶ月前 たまたま僕のライブでピアノを
弾いてくれることになり
それで 本番のライブでこの歌を是非
歌いたいと頼んで やつの家で
練習用に録音したものだった
1コーラス目は 僕とWOLが一緒に歌い キーが高く
かなりピッチが狂って<僕が> 笑って歌っている
「まさかこんな下手糞に
一緒に歌っているMDが皮肉にも唯一の
WOLの形見になるなんてな....」
と思いながら 2コーラス目に入ってWOLがソロをとって歌いだし
サビに入ったとき その言葉の歌詞に息を呑んだ
「もしも 私が死んでしまったら あの丘の上
花で飾って 花で飾って そしてあなたは又別の道 歩き始めて
歩き始めて」
この詩はゆりっちが作ったもので
本当は恋愛関係の愛する人に送った想いの歌なのだと推測するが
WOLが亡くなる一ヶ月前になんでこの歌の わざわざ
このパートを歌って 偶然にも録音して僕が持っていたのか?
なんだかWOLに「おまえ悪いが あの丘に花もっていてくれ」
頼まれているような気がヘッドフォンごしからしたのだった
あの聖水のように清んでいる声の中に
何処か弱弱しさが混じっている歌声だった
もしかしたら あっちの世界でやつは忙しいのかもしれない
でももう こっちの世界ではWOLは物質的に花を買ったり運んだり
する事はできない そう思うとなんだかフビンにも思えて
僕が変わりに花を持っていく事が この歌を
聞いてキャッチしてしまった 無力な
友人の一人が
唯一出来る やつの供養だと思い込んでしまったのだ
「それにしても 丘ってどこの丘やねん?」
それが始まりだった
それから 2 3日たったころだったと思う
あいかわらず何をしてても 何処かトリップ
してるような時間が続いた
大事な友人が亡くなった悲しみや 人はいつか死ぬ
という事実を生生しく見せられた事など
そんなものが 入り混じって心の奥の普段
自分さえも認知していない
魂のボールを ハンマーのようなもので いきなり
「カーン!」と叩かれて その耳鳴りが止まずに
キーンとずっと鳴っているような感じだった
そんな真夜中にぼんやりパソコンに向かい
WOLのホームページの
BBSの書き込みなどを眺めていた時だった
WOLの歌を
人間性を愛して止まなかった人達が
BBSにあまりの急な悲劇で
動揺と悲しみも剥き出しのまま
自分の中で蹴りをつけるように それぞれ
お別れの言葉を書きこんでいた
パソコン上の素っ気無い
文字達もまるで泣いているように滲んで見えた
その時 一つの書き込みを読んでハっとした
それは 今から2年前くらいにWOLが
ある番組のレポーターとして
カンボジアのアンコールワットに行き 天国の階段
という名前の階段を登って
「天国って気持ちいいな」って
言いながらギターを弾いて歌っていたという事が
書かれているものだった、、、、
その時ある場面がハッキリと蘇る
あのWOLの家で練習した帰りの事である あれはたしか
WOLと僕とたけしと三人で駅前のラーメン屋に行こうと
いう事になって ゆっくり歩いてた時
WOLが突然こんな事を言ったのだった
「まあ 俺ら それぞれあと5年 10年 日本がんばった
としてやな それでも どうしても駄目やったら
アジアでも進出しようや
おまえそっち方面好きやろ おまえが先行って
足がかり作ってやな、、、」と
笑いながら冗談のようで、、あれは
あの性格上本気だったと思う、、、、
その時 空想の中で進まない丘の絵のパズルのピースが一気に
埋まったような気がした
「私が死んだらあの丘に花を飾って」と
いうあの歌の歌詞 WOLが俺にアジアに行ってほしいと言った言葉
まだ見ぬアンコールワットの天国の階段という
その三つの点が線で繋がって答えが見つかった
花をささげる場所はアンコールワットだったのだ
と言う事だった
単なる思い込みかもしれないが
それでもかまわない
ささくれたような真夜中の鬱な気分から抜け出して
晴れ晴れしい気持ちとなった そして早くも見えない
何かが前に進んで 心では暗示のように誓っていた
アンコールワットに行って 花を飾ろう