NOVELS

パズルを探して<バケンに花束を> 

それから 月日は流れ あともう少しでWOLが亡くなって
一年になろうとする時に それは実現した
東京からバンコクに飛び そこからツーリストバスに乗って
舗装されていない砂の舞うありえない凸凹道を10時間以上
揺られて アンコールワットのあるシェムリアップにたどり着いた

今は日暮れの5時半 ゲストハウスでチャーターした
バイクタクシーの後ろに乗ってプノンバケンに向かっている
バイクの前の篭には さっき買った甘い匂いのするジャスミン
の小さな花束が入っている
昔ここはジャングルだったという ワイルドで大きな
木々の匂いの風になびかれながら 隙間 隙間で
チラチラと見えたり
隠れたりしている丸い夕日はもう濃いオレンジ色にそまり もうすぐ
落ちて消えそうになっているところだった
それを察知してか バイクタクシーのクメール人はスピードを
どんどん上げていく バケン山で夕日を観る事が目的じゃない僕は
「ええのに おっちゃん そんなスピード上げんでも...」

プノンバケン なんでアンコールワットではないのか?
「フェクションなら 有り得ない変更だけど
なにしろ実話なので...」

これは簡単な事だった WOLが出演していた例の番組を録画した
ビデオテープを知人が人づてにワザワザ探して
プレゼントしてくれたのだった
旅に出る前にビデオでその番組を確認したら
たしかにWOLが朝日を観ていたのはアンコールワット
でも夕日を見ていたのは そこからすぐ近くの
プノンバケン<バケン山>だったのだ そしてこの場所はシェムリで唯一の丘..
あの歌詞は 丘に花を飾って という歌詞だったので
まずはバケン山に花束を持って行ったのだった

プノンバケンに到着し 一人階段というよりも崖のような山を昇る
上から人がたくさん降りてきて 登っているのは僕だけで
夕日は沈んだのだな...と思った
やっとの思いで頂上にたどり着いたら 夕日はもう見えなかったが
空は今日の終わりを描いているように ピンクがかったオレンジに染まり
バライの湖やアンコールワットを一望出来
気持ちごとその景色に包まれた
そしてリュックからMDウオークマンを取り出し 形見のあの歌を聞く
「これで ええの?」と心でいいながら ジャスミンの花束を西の方角の
石の上に置いて 手をあわした

WOLが亡くなった事は本当に残念だけど やつに出遭って
人の人生はドラマよりも
ドラマチックで精密で素晴らしいものだと教えられたような気がする
そして 一番大切な事も教わった気がする
去年のあの魂が震えた日 祭壇のまえの 亡くなったなんて
嘘みたいに生き生きしたWOLの写真や 悲しみくれる
人達の肩や たくさんのお花や お経を読み上げる
お坊さんの後ろ姿 そんなものをボンヤリ見ながら
あの時たしかにもう一つの心のスクリーンで
鮮明な映像が流れていた それは
「記憶」という名前の映画だった
流れて写しだされるのは 馬鹿げていて
たわいのないものばかり ほんのちょっと気づかってくて
親切にしてくれた事
笑った事 怒られた事など そんなものが何度も 何度も
巻き戻されては 鮮やかに再生されて
胸に広がった そしてそれはとてもキラキラとして綺麗で

触われないが たしかにあるものだった

思い込みと一人よがりでこんな遠くまで来てしまったが 遅かれ早かれ
自分もいつかはそうなり何もなくなるのだ この世にある
物質的な物はいっさい何も持ってはいけない
残るものはそういったものだけで 心の中で
それだけが光りを放ち尾をひく
それがこの世で一番大切な事 あの日WOLに身を持って教えられたと
今になっては思う
生きている限り この煩悩や迷いが消える事はないだろう 間違いまくるだろう
それでも その時 巡った場面の誰かが求めるなら
自分なりのやり方で ほんのちょっと力になって返していきたい
繋がって生きていたいと思う事が出来た 師がいないまま
一人スコップ持って 意固地に止めず道を作り歌っているような
時々頼りがないこの人生だけど
言葉ではない言葉で これからも奴には 教わることだろうと思う


そして あの「パズル」のサビの歌詞の最後は
「そして あなたは又別の道 歩き始めて 歩き始めて」
となっている でも旅人がその先の
人生の別の道なんて具体的にすぐには見つからないもの だから旅をするのだ
でも 今はこれでいいと思った ジャスミンの匂いが
混ざった風に吹かれながら 今ここに居る事がすべてなのだと思った
辺りが暗くなるまで しばらく シェムリの空を仰いでいたのだった