2012年11月25日(日)
サンカーラ
田口ランディさんの 新刊サンカーラを読んだ。
ランディさんの本はたぶん 三分の一もまだ読んでないかもれないけど、
読むと、、なんというか、、心の中が一回号泣するところがある。
ランディさんの生い立ちと、、少し近いところがあるかもしれない、、
生まれたら なんで?って思う事ばかりだった幼少期、、
小さいとき、、なんで人は死ぬの?という事をよくいってたらしいが、、それはさておき、
なんで おばあちゃん、あんなにかわいがってくれたのに
急に僕を捨てたの? お父さんなんで いつも そんなに怒ってるの、、
僕が何か、、いけないことしたの?いつも 妄想してびくびくしてた、、
すき焼きとか 鍋とかって一家団欒で楽しいやん普通。
でも いやだった、、必ず親父が怒りだすから、、
白菜、、が嫌いで飲み込めない、、妹を泣くまで叩く
あのときの、父親は、いまでもぶん殴りたい、、子供だったので
怖くてできなかったけど、、。
でも、、今は、時は流れて、、あのときの父親はもういなくて、、
いい人だし、、、捨てたとおもっていたおばあちゃんも
理由があって田舎に帰っただけという事も
今ならわかる。だからもう、、それは自分の中の問題だし、、
でも そんな傷ついたてきに書いてる、、僕も妹を相当いじめたしね、、、
だから あの頃の なんで?というおもいは、、誰にも聞いてもらえないまま
思い出の中分解されていき、もう二度とあの頃には戻れない。
そして今 現在に起こる出来事、の なんで?。
それは、もう、悲しくならないように心の筋肉で
ガードできるし エネルギーにもかえて
楽天させれるし、なにより、変化する事をしってる。
でも、それでもときどき、、たまに 静かに、、はああ となる事がある。
そこを 突かれる感じがするのだろうな。
でも なんで?という思いは 実は
、傲慢で自己中心的なものでもある、、
でも、、そんな どうしようもない自分もランディさんの文章読んでると、、
許されるような気がするのだ。
これが エッセイか小説か、わからない 不思議さだけど、、一言、
本気やねんな、、というのが 文章に漂っていた。
この本気さは、、すごい。
さらけだしている。 このさらけ出し方は今まで
読んだ本では、読んだ事がない
ので びっくりした。
そして 去年の震災から 一ヶ月後くらいにお寺で開かれた
ランディさんの、般若心経を朗読するイベントに行った事があるけど、
その事も書かれていた、、なつかしい。
あのときは、震災で、、まだ 東京も余震がつづき、、しかも
僕は 当時一緒に暮らしてた、、人と冷えきってしまい、、<笑
そんなときに震災 でも引っ越さねば、、
で、、不動産やに通い詰め、内心、、やっと
長い年月かけてたどり着いたのに、、終わってしまった、、
敗北感の中、、とほほだけど、、パワーだして家さがして
わけがわからない状態だった。まさに なんで??デイズ!だ。
内も外もあれて、、でも強いから、なんとかやってのけれるけど
ひとりぼっち気分炸裂だったのだろう、、
iPhoneが癒しだった 当時の自分には<笑
あの日は あのあと用事があって、、ちょうど時間があり、
聞きにいけたんだったな。
でも、次の用事が、なんの用事だったか忘れたけど、
<思い出した、、勝本さんのイベントに
ダンステリアに夜いったんだ>
ランディさん流に 訳した 般若心経の物語すごかった。
心が落ち着いた。
あのときは、、震災のショックもあり、、
お寺のなか集まってる人たち、と つかの間一緒に
いれた ぬくもり感はまだ覚えている。
で サンカーラを読んで、、
僕も あの震災の、
あと、、なんで 宮城のスコップ団に行ったのか、、
も 目をそらさず、、考えたけど、、
スコップ団の人たちが すてきで フアンになったといのも
あるけど、、自分があの頃淋しく、、むなしかったんだろーな と
おもう。なんか そういった心を震いたたせるもの
に自分も混ざらないと、、辛かったんやろね。
音楽があるのにね。でも、、あんときは、、
やはり、被災地に行って何かする自分という事実が
あの頃の空しさを消してくれた
んだとおもう。
行ったら 僕でも喜んでくださるし、、。
あゆみちゃんとか パンダさんとか知り合えてよかったけど、、でも
でも 一番は 個人的な、むなしさを消すためだったとおもう。
本質はかわらずとも、、
今は やはり、、
音楽 表現にもどってきてるけどね。
出会って嬉しい本でした。
僕も自分の陰に すべてに、、
目をそらさないで、、そこから見つめながら、ときにさらけ出して、、
残りの自分の人生を
生きたいな とおもいました。
あのお寺の あの日の桜⬆たぶん。
No.3669