2012年05月26日(土)
築地本願寺で
昼前帰ってきて めざましかけて二時間くらい
でおきて、築地へ。
たまたま昨日 twitterのお知らせでみた
田口ランディさんの公演があるとしり、テーマが「死の中の命」。
しかも無料。明日行けたら行こうとおもっていたのだ。
あと 本願寺、東京の築地のは行ったことなかったけど、
小さい頃 まだお婆ちゃん と今は
亡くなったお爺ちゃんと暮らしてたころ、
三歳くらいか、門徒だったお爺ちゃんにつれられて京都の
西本願寺によくつれていってもらってた。
大人になってから 親鸞上人のスピリットにジョンレノン的に
大フアンになり 一人で行ったら
靴をビニール袋に入れるところとか あの古い少し酸っぱいような
木の はしら の臭いなど、記憶がよみがえったものだ。
あの安堵感も。
しかも そこに向かうバスの運転手 偶然 お爺ちゃんの子供の
自分の父親だったから
笑ったけど。
で 築地の本願寺は、行ったことないけど イメージしたら
救われたような気がして、ああ そこに行って あの安堵感に
包まれたいとおもったのだ。<おおげさ ごめんこうむる!>
で 今日いきました、twitterで 午後から時間あいた的
な事言ってた きっと好きかもしんないとおもった
古い友人のユスケも誘ったら来た。
そして 田口ランディさんの公演がはじまり、
田口さんは、お父さんが凄い酒乱でいつも滅茶苦茶
父親の気分に支配されて いつもビクビクしてる子供時代をすごされて
て、それは 僕も同じなので、、、なんで 僕のいいところを
さがしてくれなくて いつも怒る 睨む おまえはダメだという
キャラの違う親元に<いま は お父さんは弱ってる他兄弟などの面倒もみる 男気ある やさしさ今頃爆発!
おせーよ まあいいね笑>
生まれてきたんだろうって ばかりおもってたけど、10年前くらい
ランディさんの「忘れないよベトナム」という 旅行記を昔に読んだ
時に、
自分の親は生まれる前に魂の時に自分で選んで
生まれてきた
という考え方を書かれてて、いまでこそ スピリチュアル本に
よく書いてる事だけど、当時は 初めて聞くことで、、
へえええ そうかんがえよう!と おもったのだ。
と話はそれたけど、で、なんでも 田口さんが
去年の震災で、毎日のように 津波などの凄まじい映像をみてて、
何故か思い出したのは その壮絶だった子供の頃。
もう 親も看取って時は流れ過去になっていたはずなのに、
その頃の荒れくるった部屋の中に佇んでる幼い頃の
自分などを思い出されたそう。
で あの頃の自分はなんでもない顔してたけど、いつも
本当は辛かったんだな って
よく乗り越えたな って よくやったって自分で自分に 言ってやること
ができたと、 誰が?ではなく 自分で自分に
言ってやれる時が いつか、
くるんだよ って話で、、僕は気がついたら 泣いていた<笑
、
最後 お客さんの若い女の子が、40歳でデビューして小説は大ヒット
されましたが、元々文才はあったんですか という質問に、
「私より文章が上手い人は 沢山います。
でも 小説家は私は私を表現したい!では できない仕事なんです。
書かざる得ない、、表現しなければ、
それができなかったらほかは
死ぬしかない くらいの衝動がないと小説はかけません。」
という言葉が胸にしみた。
僕は コンプレックスの かたまりもいいとこで、
年々切実さ もます。
のんきそうに みえるかい?それなら それで いえーい!<笑>
音楽 表現は意地でやっているのではない。
他に することがない。
というか しなかったら、
行動には絶対うつさないけど どこかしらにある
死にたい を
もっともっとおもって 生きるしかないもん。
と言っても
努力不足だし 生活もあるし、、、だが!
やめるわけにはいかない。
自分の中の 汚れてても ダメでも
なんでもいい 本当の中で目をそらさず、
表現して いきたいと
強くおもいましし、こんな自分が許されたような気がしました。
ありがとうございました。
友達もありがとう!!!
No.3483