2010年08月09日(月)
知らぬ人の背中をみて
夜ラン<夜のミニランニング> 荒川の橋を折り返して走ってると
左手に お子様ランチのピラフに刺さってる
くらいの小ささで東京タワーが見えるがきれいな色
右手には たまのたまのたまに富士山が見える
贅沢な橋なのですぜ
で 信号で止まってたら 無視して走る若者がいたので
ふーん と思ってて 青になって俺も走り出したら
若者の背中がどんどん近くに、、えっおれより
ゆっくりランナーなの。。?
飛び跳ねて走ってるから早くみえたのに、、
でも 抜かすのとか嫌だな
俺もゆっくり走ろう
そう ランニングで抜かされる事多しだけど たまに
遅い人いると 抜かすのあんま好きじゃないんですね
自分に自由さが なくなるというか、、気分的に
でも、、11年まえくらいは、、そのときの会社の人に
「そんな性格じゃ 勝ち抜いていけないぞ!」と言われたけど、、
負けず嫌いなんだけど、、誰かにじゃないし、、
抜かすなら1000人くらい
静かに一気に抜かしたいわ 荒川沿い1000人走ってない!
とか 考えてたら 前の若者どんどんペース早くなって走っていってた〜
でも何となく何となく時代が
そうじゃないほうになってないかな?
ネットなんかでも思うときあるし、、、
オバマ大統領就任にしたって、、
誰にも居場所がある世界 というか もともとそこに、、
あるんだって世界
それはある意味 変人も居場所があるし、、生きやすいではないか!<笑
勿論突破した方がいいという事は
あるけど それは個人の問題でやればいいし
尾崎豊が昔 僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
と歌ってたけど、、あの時代は勝たないと絶対に
居場所がないって事だったんやろな、、変っていくのかな
ただ内面の自分にという捕らえ方にすると
あの歌 これからも当てはまるけど
もともとそういう歌やったん?
No.2811