2009年09月30日(水)
南北であった
昨日の日記、、東西線ではなく
南北線であった、、
東西線って あの高円寺住んでる時に
新宿行きの中央線と同じホームにくるやつね
あれ良く間違えて乗ったし、、
特に急いでる時に 高田馬場で半泣きでJRに乗り換えたり
しながら
で 今日の夜に
五反田の道場の特別授業があることが判り
向かった クンダリニーの!
僕は二回目 この授業は成瀬先生も居て段階の最後
に見てもらえるが、、基本生徒さん同士で
見てもらいあいながら判っていくというやつだけど
これが、、先の執着地点のことを考えると
途方にくれる 40段階以上あって
10年以上のやってる人でも17段階目
なんて世界、、、
でも この教えてくださる長い生徒さんのお父さん!
この方が孤独そうだけどそれを楽しんでそう&凄い良い人、、普段はどのように暮らしてらっさしゃるか、、
知らないけれど、、その人に触れてチェックするとき
ビリビリきたもん言葉に出来ないなんか、、でも ああ 言葉に
出来ないけど僕にも判りますよ
っていう思い 何故か今 人間になってこうやって
体で区切られて 時間の中でこの方も僕も生きてる
という不思議さ悲しさ幸福さを思う”
これって普段の名刺の肩書きを知らないからかもしれない
旅先とやっぱりソックリ
音楽のセッションもそんな感じあるね!!
僕は偶々ヨーガだけど そういう場所があるといいね
釣り馬鹿日誌的な
とカッコつけて書いても 取り組んでる時は
自分の中心軸なんて判らん〜
!!とヨタヨタとおもうが、、諦めないで取り組んで行きたい
きっとヨーガだけではない 多いに自分の根本にとって
為になるだろうと思われる
だから行ってるし
富士山登山だって そうであったが
グングン行く見知らぬ隣人とか 頂上まで 後どれくらいと
考えると シンドサ倍増
一番大事なのはこの目の前の小さい石 大きい岩をどうやって足を置いて
何処につかまって上にあがるかって事
ちょっと たんま きゅーけ〜というのも ありで!
その登山の<岩>と言うのは
人生では<今>だろうね
そして 自分で登っていくのだよ
No.2480