2009年07月20日(月)
サックスのジュンベエさん
寝起きの暑さの中、、しばらくまどろんでいたら、、
こんな暑い夏に十数年前に栃木の乗りで
宇都宮にオリオン通りのジャズライブ祭を観にいき
べーシストの片野さんの実家に泊まらしてもらった
事を思い出す、、たしか初めて泊まった家なのに15時間くらい寝て
昼過ぎやっと起きたら、、
片野さんの可愛らしいお母さんが「あんたら 死んでるのかと
おもったわ〜」と言っていた事を思い出した、、
片野さんといえば今も活躍されてる天才的ギターリストで
アレンジャーの鈴木俊介さんや トランペットの澤野さんら
の当時仲間だった人で 小僧の俺はアホみたいについて周り当時
可愛がって頂きお世話になった人だけど、、
片野さんも天才でギター以外の楽器は何でも出来て
鼻歌を歌えば譜面を即効で
起こしてアレンジなどしてくれてた人だったけど
今は栃木を拠点に色々音楽の仕事を
なされてるみたいだと聴いている”
でも 片野さんって 入院してたサックスのジュンベエさんのマンションに
代わりに住んでたな 東京では、、たしか最後、、
そんで俺が「はんぶんこ」って曲ができあがりギターで
簡単にコードを乗せてるも状態で持っていって
片野さんに聞かせて そこにあったローズで
チョイチョイと弾いて 歌って あの歌の正体の
輪郭が生まれたっけな〜
と思い出した!
で ここからジュンベエさんの話になるけど
僕はすごく話した事もないけど 弱弱しいキリストみたいな風貌
の人でね
とにかく何故?というくらい女子にモテテらっしゃって けっこう
色々あったとおもうけど<笑>
印象的なのは 当時芝浦にあったライブハウスに
澤野さんらがプライベートでやってるバンドのライブの日、たしか
手伝いに行ってたはずだけど、ジュンベエさんがリハ後に
突然居なくなって戻ってきたら
「今 そこのフレンチでさ ランチのコース食べてきたんだ」というから
「え〜一人で?コースって高いでしょ?」と言ったら「うん 6800円
くらいかな〜 俺の師匠が 良いライブするためには いいもん食え
って言っててさ ははは」と弱弱しいキリストっぽい
風貌で笑っていたのを覚えている で!
たしかに その日のライブは疎らのお客さんの前で
もんのすごいカッコいいプレイをしていて、、こういうところが女子に
モテルところかな っておもっていた、、
でも それから数年後 澤野さんと共に
ミュージシャンとして売れ始めて 岡村ちゃんとかB'Zとか
のツアーをまわりだして、、、遠巻きに凄いな
ジュンベエさん!と想ってたけど、、病気になったと聞き、、それから
一年もしないうちにジュンベエさんは亡くなったのだった
澤野さんとか、、当時は ウイスキーロックを一気しないと
男じゃないとかばかり 言って 俺もさんざん飲まされて大変
な目にあった事があったけど<笑、、その後は 全部そういうことは
やめてたと想う ジュンベエさんが病気の時は澤野さん「家で
普段読まない、、医学書とか
読んじゃうんだよね〜、、そうすっとさ〜、、」
と言ってたし澤野さん、、男気がある方だからね
もう今はそんな湿った感じではないとおもうけど
でも覚えてるし 新たなことを想い出したもんだから書いた
なもんで「はんぶんこ」って歌は 永福のロイヤルホストと荻窪
のドトールで書いたけど、、
今は亡きジュンベエさんの品川のマンションで アレンジ 全体の
輪郭が出来たのか
〜と おお〜!とおもったからね! レコーディングはこれまた
お世話になった 為人さんが弾いてくださったのだけど
大事にしないとね、、! でも まだ良い曲もかかんとね<笑!
あの時お世話になった方々
ありがとうございます!と念を飛ばし
今日と言えば うなぎを食べに行くこととなり
近所の老舗の店に行ったが 混んでて 店の
叔母さんに話しかけたら あきらかに無視してるっぽい態度だったので
店を出て 駅前のレストランへ、、でも、、ここも寂しい感じ
なんというか 何か別のことで儲かったお金で、、なんか
形で場所はいいし これでいいんじゃない?と 出来た店と言う感じ
で 相田みつを師匠っぽく メニューも書いてるが
全部が今一で寂しかった、、俺が頼んだ漬け麺定職も美味しくなさすぎて
家の近くの歩いて三秒の漬け麺屋が よりすばらしく感じたのだった
ラピュタの海賊のおばあちゃんの
手下の人達に似ている 店員のオッちゃん
もシャンティーで 良い感じだし
そこに又行こうと言う事となる
色々勉強になった
午後であった
No.2395