2009年07月12日(日)
ロータスが一杯
よく昼間タラタラ ランニングしてるので
なんか 焼けてきた顔、、
そんな最中 ↑川口の花やで
お盆だもんね〜
でも ますますロータス<蓮>好きさ増してるものだから
お盆グッズこそ 蓮だらけやん!アジアンショップだけではない!
って事で
御釈迦さんの象徴なわけやからね そらそうやけど
この蓮 素敵やから 買おうかと一瞬迷ったほど<汗>
上野の池の蓮も 一面満開なのかもな
又 そんな話だが
帰りの電車で 不意に 人間関係に対しても
何事にたいしても もうすぐ死ぬ数分前
のときの気持ちで見れたら
良いだろうなとおもった
例えば ものすごい嫌いな人とか
考えを否定していた人などがもうすぐ、、目を閉じる時
に居たとして「おまえなんか どっかイケ〜」とは
おもわんだろう 「もう いいんだよ というか、、それより あの時は
三きゅ〜 」とか「こちらこそすまない」とか
「皆仲良くな〜」とか
そのままを許すだろう
そして あんな嬉しかった事とか こんな苦いかった事も
全部夢のように いや 何処までも緻密である
素晴らしい夢だったと判って
それが またぐっとくるだろう
そういう時って 本質に戻るもんねきっと”
何故かと言うと もう其処からオサラバするのだから
生きていく生活を考えての恐れなどから来る守りの
判断 建前がないもんね
あの 倉田百三の「出家とその弟子」のように!
あの親鸞の最後は すごいもんね〜
文学的にどうとか 知らないけど とにかく俺にも
ぐっと届くもん
いついつ時も と言えば難しいけど
そんな風に チマチマしたことを
取っ払って 考えれる瞬間が日々多くあったら あと作品も
そんな気持ちで作れる 瞬間があれば<全部だったらダイナミック
すぎるし >いいな
で 今思い出したけど
あの カルカッタ のマザーテレサのマザーハウス
の修道院さんは 質素な上にバタバタしていそうなのに
本当いつも幸福そうだったもんな
マザー そして その向こうのキリスト
さまの愛に心はいつも祝福されている
のかな〜、、イたる所に
それを探せるんやろね すごいな
No.2387