2008年05月06日(火)
大井町にて
ミャンマーのサイクロン、死者2万2500人以上
恐らくもっととの事って、、ミャンマーって大まかに言うと仏教国ですよね
想い出すのが 3年前旅してたときも
大地震で スリランカとか南インドとかTAHIのプーケットなど
仏教国ばかりが津波などで大災害となり
沢山の人が亡くなられたけれど” あそこの、、お釈迦さんが
晩年過ごしたというラージギルに旅中行った時
日本寺の妙法寺の尼さんの日本人の庵主さん<今はきっと85歳>が
大地震前に一回日本に帰国する時 妙法寺にあるお釈迦さんの仏像の
顔が凄い恐い顔をしてて「お釈迦様 どうしてそんな恐い
顔をなされてるのですか?」と題目をあげながら聞かれたそうだ”
でも 何も答えてくれなくて 庵主さんは一度帰国して
また戻ってきたら 今度は物凄く悲しい泣いてるみたいな顔
をなされてたそうだ” そして”その後大地震で
あのような事になったって その話を滞在中3 4回くらい
おっしゃってたので<汗 本当の事だったのだろうな”
そして今回の、、
お釈迦さん、、何か 言いたいのかな、、人々の心と地球や自然は
連動していて
やっぱり繋がっているのかな?と思ったり
まあ 僕みたいなヤワなブッティストが言う事なので あれですが
まあ僕のホームページなのでね いいですね”
ここから ご冥福をお祈りいたします”
日中は 実はダウンしてました”ちょっと心身 疲れが溜まってたみたいだ
でもよく寝て 夕方から回復した時<回復いつも早い 笑>
はっ!とおもって”お婆ちゃんの大井町
病院まで お見舞いをアドリブで決行”
今日は近所で安いが可愛い花を買っていった
相変わらず ギリギリだったけど今日はゴールデンウイークだったので
看護婦さんも少なくて 閉館時間を過ぎてもずっと食堂で話していた
お婆ちゃんの昔の回想話 でも
やはり孫だからかな 話が上手いのかな?風景が
浮かびやすい”戦争時代の話など 僕のお爺ちゃんに
あたる清春さんは母が小学校の頃に亡くなっているので
勿論会った事ないけど 戦時中 中国に行って日本の新聞社に勤めてた
そうだけど そこでの話など面白かった
そこで知り合ってお爺ちゃんの親友になったのが
神彰さんと言って”後に居酒屋「北の家族」の社長さん
で奥さんはあの有名作家の有吉佐和子さんだと知り へー”とミーハーに思う<笑
そしてもう一人の親友がその後
戦死したお婆ちゃんのお兄さんのエッちゃん”そして
お婆ちゃんと出逢ったのかな?なんだかドラマのようでね
でもその時少女だったお婆ちゃんの心情を想うと可愛そうだけど、、
そしてお婆ちゃん以外もう皆この世に居ないんだな”って思ってね
でも それが悲しい ではなく”
そう思うと人生は 何かを通過する道のようにも思えたりした”
自分らしくグっと通過しようじゃないか!! そして今や”<またかい>”
まあ品川婆ちゃんは ココロ元気そうだった”しかも たぶん廊下で
車椅子で独自の方法で足を鍛えていたと思う
<言わなかったが もしそうなら逞しい”>
まだまだ生きていてね”& 我がグランドマザーコンの原点”
徳島のムツエ婆様も 元気でね” 祈”
帰りは 曲練り&謎の個人練習、、今ここにきて自分の”
声のメインのキー半音上がったとおもう”
呼吸法おそるべし<笑
No.1920