2007年07月25日(水)
斉藤くん
暑いな 夏だもん 夏にしてはそんなに暑くないのか
で なんとなく風邪っぽ なので、
コリャーいかん と 熱いカレー<汗
たぶん これと葛根湯でネジふせれるだろう
でも ほんとプールとヨガやって
体調崩さなくなった
上京してきたばかりの頃はショッチュウ40度以上出てから
一人40度は厳しいしね
なんかあんまりしんどくて
おもろなってきて写真
撮ったもん自分の顔 カメラで<汗
病気といえば ふと今日想いだしたのだけど
小2の時、、リューマチ熱って大病で
八ヶ月入院したのだけど
あの経験って もの凄く今 いきてるかもなと、、
親元はなれて ずっと安静なのだけど
その中で工夫して楽しみ見つけたり
で 一番キツカッタのが
僕より後に入院してきた病室の子
「一緒に頑張ってなおうそうね」とかいいつつ
僕より先にどんどん良くなって 先に安静度が緩くなったり
退院していくっていう
そんなのが何回かあって あれは 修行だったなと、、
その度
に看護婦さんに泣いて当たったりしてましたが、、
でも 誰も当たれないのが病気だから
待ったね もの凄く ひたすら
なおすったってピクリとも動かず
横になって念じるとか 真剣にやってた<汗 子供の8ヶ月は
今の5年くらいあるんじゃない?
で その「忍」の心は
後にこの東京ジグザグライフにいかされてる
からね 凄い良かったなと思う
昔 ちょうどCD出した時くらいに当時の
病室のお友達の女の子
から葉書がきて その子は自分
で事業とかやってて「あの頃があるから 今もがんばれます」ってね
共有してたもの同士だからわかる分 嬉しかった
と”” ここまで 書いたらYASUKIYO
の苦労な子供時代の話で哀愁さそうだけなんですけど<汗
斜め前の ベッドの斉藤和典くんって
男の子はね そのときから、、もの凄い過酷そうだったけど
知らなかったけど 僕が治って
退院した後も その後も入退院を20年以上続けてて
最後は人工透析とかもやってたみたいだけど
数年前に とうとう亡くなったんです
一冊本も書いていて「腹膜透析とともに生きる」って本 読むと
他も 淡い楽しみはあたっとおもうけど、、
でも それを殆んど手には取れないまま すぐ現実の
病気に引っ張られ ほとんど病気と闘うだけで
生涯が終わったのです
なんのための人生だったのか なんていうのは
僕みたいな青二才が考えても答えが出せませんが
その子の事 ふと暑い昼間の池袋の道で
思い出して
ふと 我にかえったのでね
暑いのがどーした
あほー ぼけー と
自分にね
ありがたや
No.1607