2007年04月19日(木)
勝本さん
前に 白金のお店<ダンテリ>行った時
撮った写真 若かりし勝本さんと 勝本
さんの親友の そうJB
■今日 僕の元プロデューサーの勝本さんが
癌のため亡くなりました
58歳という若さでした
夕べ デニーズで また曲を作ったりしつつ
真夜中のSEIYUで能天気にゴーヤとか米とか
買ってたら 勝本さんの一番弟子の10年来の
友人C−VEから
電話があり 以前から再入院でヤバイとは聞いて
いたので 嫌な予感がしつつ
電話で話すと もう 後2時間くらい
が山というから そのまま 始発で眠らずに
広尾の病院に行く
行ったら 勝本さんは
まだ昏睡状態だったけど 生きていて
話し掛けたら聞こえるというので
「やすきよ ですよー 勝本さーん」
というと 口が ほんのすこし
笑ったので判ってくれたのだと思う
で それが生きている勝本さんと逢ったのが最後でした
逢うべくして出逢う人
そこから人生の流れが 変るような人
ってのが 今まで何人かいたけど
勝本さんも 間違いなくそうだったと思う
勝本さんに出逢ったのは 10年前くらいで
出逢った時は 別の音楽の仕事の件だったのだけど、、
僕は 自分で歌を作ってるので デモテープを
作らして欲しい とシツコク勝本さんに電話して、、
あの 大崎のマンションの中のスタジオで
デモテープを作ラして貰ったのが 始まりでした
それから色々曲を作っては あのマンションで
録音して 一年後くらいに プレゼンライブなんか
もしたけど 期待されていたけど
僕は どこのレーベルも手があがらず 落ち込んで、、
でも 勝本さんが そんなはずはない と
CDに焼いて 会社を周ってくれて”
すごくいい感触があったとき
すぐ電話がかかってきて 僕以上に舞い上がって喜んでくれたり
引越し手伝いにいったら お小遣いくれたことも”
デビューライブをしたとき予想以上の成功だったときも
打ち上げで あの強面のデッカイ体なのに酒があまり
飲めない勝本さんが
喜んで飲んで立てなくなったてたのをおぼえています
あれから けっこう年月がたっているし
その後色々あったような気もする
疎遠になってたときもあるし、、
でも あの時代に貰ったものは 何も色あせる事なく
ずっと そしてこれからも僕は
お礼がいえます
勝本さん ほんま”ありがとう
勝本さんといえば SOUL だから勝本さん
がお世話になった人は 素晴らしく
今も凄い活躍しているラッパーとか
R&Bシンガーの人が居るけど その中で
僕はちょっと浮いてて 昔は「おまえは SOULじゃない
んだよなー」 と言われていたが
いやいや 勝本さん
僕も 魂<ソウル>の部分は ソウルなんですよー
って 思ってもらえるような
歌が現世でモウ一回歌って 聞いてもらい
たかった”
勝本さんがすきだった はんぶんこ も
もっと グッと、、
でも 居ないだけでまた 聞いてくれる
だろうねと
心からご冥福を祈ります
勝本さんまたね””
JBと向こうで
またソウルを深めてください
C−VEも 最後に繋いでくれて
ありがとう””
懐かしい皆にも逢えたし
人見知りしつつも
目をつむれば あの懐かしい
大崎のマンションの
スタジオにいるみたいやったよ
こんな時に骨身しみる
生きていることの尊さ しかりと受け止め
俺も 生かされてる間は
自分を生きなけりゃさ
No.1509