2005年10月03日(月)
我は我にしか救えず
人が何か内面の大変な想いから
立ち直ったり 自立したり
するという事は 周りの親切じゃない愛情達
に気がついた時 言い方変えれば
想いどおりにいかないけど 実は存在する
愛を見極めて
受け入れたときかなって思う
誰かに
やさしくしてくれたり 一晩中一緒に
飲み明かして
くれたりしたら それは嬉しいだろうし
一瞬気がまぎわらされる でも
その後必ず 再び戻ってしまう
自分じゃないと無理なのだ
そしてふっと冷静になって
気がつくと あのブッキラボウな人にも
道は分かれたけど あの人にも、、
想っていてくれていたんだな と判るのだと想う
そこまでの 道筋はとても孤独だけど
その道を 渡らないと次には行けないよなあと
宇多田ヒカルの 新しい歌を聞きながら
ぼんやり 考えていた
<そんな事歌ってないけどね、、>
でもその再び一人で歩き出そうとする
瞬間に歌って力を発揮する
というのもあるかもしれない
歌と聞き手の関係は
恋人でも 家族でも 親友でも カウンセラーでもなく
実際何の 具体的な力にもなれない
ただ その人が 再び歩いていく
ほんの少しのキッカケぐらいにしかなれないと思う
でもそのほんの少しの力になるためにも
作る人や歌う人は
命を削る想いで作って やっとなれる という
事なんだろうな 削らねばな!!
No.936